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16年経っても・・・ [リウマチ日記]

「出来るだけ身軽にして、自分のできる範囲で楽しく暮らす」
それが私がこれまで意識してきたリウマチライフ。

以前より体が動くようになった(根深い後遺症あり)こともあり、
軽量化した生活とできることがマッチしてきて、自宅ライフはそこそこ快適♪
最近ではチャレンジもどんどん増やしてます。


そんな中で、父とぶつかりました。リウマチックに(苦笑)
何でも基本「自分でやる」姿勢の私に対して、
父としては何かこう「意地を張っている」ように見えるのか、
はたまた、手を貸してくれる人への「嫌がらせ」にでも感じるのか・・・

「社会通念上、持ちつ持たれつってこともある」
「うちという環境に守られているから。社会ではそれは通じない。」と。

「障害者が自分で何かをすること=わがまま」の構図があるのかもしれません。
私の説明や説得不足なのかもしれませんが、
父には「手助けを断ること」も「自立を目指すこと」もあまり理解されません。


父を含め、世間一般の障害者を見る目線は、
障害者には(できるできない関係なく)何でも「手を貸してあげて当然!」という感覚。
私も元は健常者・・・・わかる気がします。

でも、それが障害者にとって良いことかというと、時と場合によることも知っています。
もちろん、本当に必要なことはお願いしなければならないけれど・・・
ちょっと考えてみてください。

(ラブラブ夫婦はさておき)風邪で熱を出し、ひとまず起きられるようになった時、
「食べさせてあげる」「ハイ、あーんして」と言われたら・・・
たいがい「大丈夫。自分で食べられるから。」となりますよね?

障害者も同じ。「これはできるから大丈夫。」と、断ることはあります。
断るにしても、感謝の言葉を伝えたり、
「こういう方法でできるから大丈夫」と理由を説明したり、気を回しながら。


私もすべて自分の思い通りになるとはこれっぽっちも思っていません。
まして「優遇されて当然」なんて1度たりとも思ったことはないです。
むしろ、我が家は何事にも手厚すぎると感じるくらい・・・ありがたいことなのですが。

確かに「自分でできるに越したことはない」という思いはあるし、
将来を考えて「(さまざまな方法で)できるようにしておきたい」気持ちも。
そのために「自分でやる」ことを望むこと傾向はあります。

けれど、意地を張って「何でも自分で!!」と断ってばかりではないし、
状況に応じて「お願いします」と譲歩することもある。
言い方は悪いけど、そうすることでお互いに気持ちよく場を和ませる駆け引きも、
この16年間で学んだことの一つ。

けれど、父の感覚に合わせて私生活まで何もかも「持ちつ持たれつ」をやってたら、
自分の意志を我慢し過ぎてヘトヘトになってしまう。
それもこの16年で感じてきたこと。

人や社会に関わる部分は、持ちつ持たれつや、状況に応じた対応は必要。
けれど、ひとり時間や、人の手を借りずにできることくらい、
自分の意志でやらせてほしい・・・やたら過保護にしてほしくない・・・。


長年私と連れ添った(?)母はその辺を理解してくれていて、
人に迷惑をかけなければ、ある程度自由にさせてくれる。
(「このくらいまではできそうだ」と少しずつ実績を示しながら・・・)
陰では心配をかけているかもしれないけれど、
黙って見守ってくれているおかげでできることも増えて、感謝しています。

けれど、仕事人間で、実質数年しか私の私生活の進化を見ていない父には、
目に映るやることなすこといっさいがっさいが気になるらしい。
・・・常にチラチラと視線を感じる ( - ゛-) ジッー

できる確信があることでも、少しでも時間がかかれば「貸してみろ」と手を出す。
「大丈夫。これはできるから」と断れば、「また無駄なことを」「意地を張るな」。
どうしてもできないことは、いつも意地を張らずお願いしているはずなのに、
なかなかそのバランスがうまくとれずにいます(苦笑)

・・・・・・ふぅ、疲れる (o_ _)o ~~~ †

普通の30代と比べれば足りないことは多い。
大きいことを言える立場にないことも承知の上で・・・

障害者に限らず、「社会的弱者」を作り上げているのは、
実は自立を妨げる必要以上の手助けも理由のひとつなのではないかと思う。
「自立したい」気持ちは応援してほしい。。。
手を貸すのは本当に困っている時だけで十分だから。
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